日本が原発ゼロの道に踏み出すためにも、対米従属のくびきから抜け出すことが必要です。

 

 

 
―――*原発廃止*―――
*即・原発を廃止しても、使用済み燃料や原子炉廃材の放射能と100万年!
*低線量被曝に関しては、ECRR(欧州放射線リスク委員会)の「2010年勧告」を基調にする。
*国家権力の横暴を許さず、主権者である国民の命と生活を守る政権の樹立を!
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WebやFAXで送るあなたの意見で、
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☆「メルマガ金原」No.1044  (一部省略)

生長の家・総裁 谷口雅宣氏の脱原発論
 
 宗教家と原発との関わりについては、様々なスタンスがあり得るところですが、その一例として、「生長の家」総裁・谷口雅宣氏の意見をご紹介します。

 「生長の家」といえば、私などの世代にとっては、創始者・谷口雅春氏の強烈な政治的主張(もちろん、大いに「右」に偏った主張です)の印象が強く、また、和歌山県選出の自民党国会議員(参議院→衆議院)・玉置和郎氏の支持母体であったことなどが連想され、出来れば「お近づきになりたくない」存在でした。

 その後、「生長の家」自体が、2代目(1985年~谷口清超氏)、3代目(2009年~谷口雅宣氏)と代替わりすることによって、政治運動からは遠ざかり(このため、創始者以来の信者の離反を招いたようですが)、一般の人がその名前を目にする機会も減っていきました。
 
 私が、久しぶりに「生長の家」という宗教団体の名前を目にしたのは、以下のような著作が出版されたからでした(著作自体は未入手です)。

  『次世代への決断 宗教者が“脱原発”を決めた理由』

    谷口雅宣 著
    宗教法人「生長の家」刊(2012年3月)
    日本教文社発売
     http://www.ssfk.or.jp/p/a/105907.htm

 なにしろ私もまだ読んでいないのですから、皆様にお薦めするという趣旨では全くありません。 ただ、これまで伝統宗教の側からの発信に注目してきましたので、新興宗教からの発言の一例としてご紹介することとしたものです。
 
 宗教専門紙「中外日報」WEB版に、谷口雅宣氏に対するインタビュー記事が掲載されていましたので、以下に引用します。
  http://www.chugainippoh.co.jp/interviews/rondan/2012/0517rondan.html

(引用開始)
信仰の力で「自然共生社会」へ――生長の家総裁谷口雅宣氏に聞く平成24(2012)年5月17日たにぐち・まさのぶ氏=1951年、東京都生まれ。青山学院大学法学部卒。米国コロンビア大学修士課程修了(国際関係論)。新聞記者を経て、2009年から生長の家総裁。著書に『”森の中”へ行く―人と自然の調和のために生長の家が考えたこと』(共著)など多数。
 
 生長の家の谷口雅宣総裁は、このほど上梓した『次世代への決断―宗教者が”脱原発”を決めた理由』(生長の家刊)で、「自然との共生」をあらためて訴え、「脱原発」の姿勢を明確にした。「環境破壊や原発問題の根因は人類の欲望にある」と喝破する谷口総裁に、その思いを聞いた。
 
『次世代への決断』執筆の意図は
 「科学技術が発達すれば経済が発展し、経済が発展すれば人間は幸せになる」というのが、戦後日本人の基本的な考え方でした。しかし事実は逆ではないかという疑問がありました。日本人だけでなく、人類全体がそう考えてきた節があり、その予測は外れてきています。それを劇的に示したのが2001年の「9・11」(アメリカ同時テロ)でした。
 日本では技術優先、経済優先の態度が原発を生み出し、エネルギーの無駄遣いが習慣となりましたが今回、それが転びました。転んだのが今回初めてではないということも、明らかになりました。経済至上主義が間違っているということを見せつけられたのが、今回の「3・11」(東日本大震災)だったと思います。
 
震災が明らかにした現代世界の問題点とは何でしょうか。戦後日本は都市や都会をパラダイスと見てきました。そのために人々は都会に集中し、地方は都会に物資やエネルギーを供給するための道具になってしまったのです。原発にもそういう発想が現れています。

 そして今や「神」が人間の道具になってしまいました。神と自然と人間の不調和は、「9・11」が象徴的でした。イスラム原理主義の人々が、物質文明世界の中心地に対して大規模な自爆テロをやりました。ニューヨークのマンハッタンは都会中の都会で、自然はほとんどない。そこで宗教的な価値と世俗の価値が鮮明にぶつかり合ったのです。今回の震災にも、神・自然・人間の不調和が現れているといえます。
 
大震災の意味を問う人が増えています。震災を神罰と考える人もいますが、われわれは神罰を与える神は信じていません。そうではなく、観世音菩薩の教えだと考えます。あらゆるものが観世音菩薩であり、観世音菩薩の教えはどこにでもあります。大震災が起こり、「どこかおかしいんじゃないか」と多くの人が考えるようになり、戦後日本の再考が行われています。この動きも観音の教えだと捉えるべきです。戦後日本の発展が物質偏重だったことは、ある程度合意ができつつありますが、一方では「それでいいんだ」という考え方も根強くあります。日本は今、経済至上主義を見直すか否かの選択をしようとしています。さまざまな議論が起こることは良いことで、これも社会への教化の一つでしょう。

 今回の震災で、自分の中にある良心に触発されて動いている人々がいます。そこにも観世音菩薩の教えが現れています。結局、観世音菩薩は自分自身であり、反省することは観世音菩薩の教えを聞くことなのです。だから100人いたら100通りの教えがあります。これが個人への教化です。

 同じ意味で、「死もまた教化」といえます。「死」は人間にとって大きなインパクトですが、それが良い方向に行けば教化となります。
 
「脱原発」を明示した理由は。都市化が進むと、人間と自然がどんどん分離していきます。自然とのコンタクトのない社会で生き、そういう場所で政治をしていて、自然と共生する政策が生まれるとは思えません。今回の津波と原発事故は、その警告としても読めます。

 津波が起こることは昔の人はよく知っていて、いろんな所に地名や碑のような形で”教え”が残っていました。しかし近年になって「そんなものは技術力でもう大丈夫」と考えて開発してきました。その結果は、本当に”天災”といえるのかどうか……。

 同じ事が原発についてもいえます。原発の起源は原子爆弾です。どれだけ敵を多く破壊するかを考えて開発され、使われたものですから、生物一般にとっても有害です。それをコンクリートや鋼鉄で固めれば、人間の都合がいいように使えそうだということで発達してきた、人間至上主義の権化なのです。それを増やしていくというのは、人類の自殺行為です。

 地球の生物は長い時間をかけて大気圏を形成し、DNAを破壊する宇宙線の侵入を防いできましたが、それを無にする技術が原子力の利用です。
 
 これは危機管理の問題でもあります。危ないことが分かっていても、そろばんをはじくとコストが高くなる、それで安全措置を取らないということが繰り返されてきました。解決できない放射性廃棄物の問題を後の世代に押し付けており、世代間倫理を無視しています。その意味で、人間の心の問題でもあるのです。
 
日本と世界は今後どうあるべきでしょうか。「自然共生型文明」への移行が必要です。資金と人材を自然エネルギーの開発に本格的に振り向けるべきですが、あまり楽観視していません。化石燃料の方がコストは安いし、市場も成熟しているからです。「作れば売れる」という「業の力」に引っ張ら
れてしまうのです。

 しかし業の力に任せたままでは、資源が枯渇し、国家間で資源の争奪が起こり、地球温暖化による海面の上昇で陸上の面積が減って、国際紛争の起こる可能性が幾何級数的に増大します。これは多分、有識者は皆知っていますが、今まで通りお金をもうけたいから、生活をしたいから、今までの道を進んでしまう。これが業力です。政治や経済に頼っている限りは、日本は国際紛争に巻き込まれて沈没する恐れがある。

 だから、方向転換は、自分でやるしかない。そこで、生長の家は2013年に「森の中のオフィス」(山梨県北杜市)へ国際本部を移転します。グリーン電力を採用し、排出権を買い、植林し、太陽光パネルの設置を進めています。炭素ゼロの生活を実践します。利潤追求の企業ではできないことも、信仰があればできることがある。
 
わが国の宗教界への思いは。日本では山岳仏教が発達し、神道は自然の中に神を見いだしてきました。そういう意味では、日本の宗教は自然を大切にすることを十分に心得ています。それなのに、宗教界が環境問題をあまり重要視していないことが、不思議でなりません。その理由が、もし世俗的な利益の優先であるならば、悲しいことです。それは本来の宗教の姿ではないからです。お節介がましいかもしれませんが、古いしがらみからそろそろ抜け出す時期ではないでしょうか。

 キリスト教は昔、自然破壊の元凶だと批判されたことがあり、今は猛反省して新しい教義を作りました。それでいいと思います。「自然は大切」という教えが本当に聖書にあるのかと考えて、あらためて読み直すと、あらゆるところにそう解釈できる聖句があった。その箇所を緑色で印刷した『グリーン・バイブル』というのが出ています。そういう見直しはすべきだと思います。

 宗教というのは過去において完成したという考え方が一部にありますが、そんなものではないと思います。エボルブ(発展)していくものです。社会と共に動くし、人間の意識と共に変わっていくものなのです。

 また、「信仰は生活のためにある」という考え方があります。病気平癒や商売繁盛などの「おかげ信仰」です。それを否定はしませんが、それしかないのであれば、学問や技術の発達に伴って宗教は無くなってしまうのではないでしょうか。

 生長の家では昔から信仰と生活を一体のものと考えています。あまり極端に走ってはいけませんが、実生活に生かされない教えは宗教の自滅につながると思います。この点をそれぞれの信仰者にぜひ考えてほしいです。
(引用終わり) 
 
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